トップページ佐々木俊尚氏著書第八章 オープンソース――衝突する国家

第八章 オープンソース――衝突する国家

▼オープンソースの登場

 だが半導体戦争からTRONの敗退にいたるここまでの流れは、実のところ序盤に過ぎない。
 時代は一九九〇年代後半へと移る。
 この時代から、インターネットやコンピュータの急速な普及が始まった。ITは、われわれの住む社会のインフラとして利用されるようになったのだ。
 それはITと世界の関係にとって、新たな時代の幕開けでもあった。

Photo_9 ITが社会の根幹へと浸透していったことによって、政府はみずからの戦略の中に、積極的にインターネット/コンピュータのコミュニティを取り込もうとし始めたのである。国家権力が、先端のテクノロジに追いついたのだ。
 政府は、インターネットの世界から現れた果実を搾り、それらを国家戦略に結びつけることを考えるようになった。
 九〇年代後半のこの時期。TRONが敗退し、ウィンテル帝国に苦汁を嘗めさせられた日本政府は、二つの方向に戦略を採った。第一が情報家電をパソコンに 替わって普及させる戦略である。これは後の章で述べよう。そして第二に、オープンソースを利用してウィンドウズの支配を排除しようとする戦略だった。いず れの戦略も、目標はマイクロソフトへの対抗である。
 日本だけではない。オープンソースを「脱アメリカ」の武器として活用していこうとする動きが、欧州やアジア各地で加速し始めたのである。
 オープンソースというのは、ひとつのソフトのソースコードをすべて無料で公開してしまい、世界中のプログラマーたちがボランティアで自由に改良し、より よいものに作り上げていこうという新しいソフト開発の方法である。フィンランドの学生が開発したOS(基本ソフト)の「リナックス」が最も有名で、世界の サーバ市場の中でユニックス、ウィンドウズに次ぐ第三の勢力になっている。米調査会社IDCの統計によれば、二〇〇六年四~六月期にリナックスの市場シェ アは一二・〇パーセント。ユニックスの三五・〇パーセント、ウィンドウズの三四・二パーセントに比べればまだ少ないが、しかし着実にシェアを増やしつつあ る。
 オープンソースの歴史は、バーロウやブランドが育てた六〇年代サブカルチャーに彩られている。
 源流を作ったのは一九八〇年代初頭、フリーソフトファウンデーション(FSF)を設立したリチャード・ストールマンである。ストールマンは一九五三年生 まれで、ハーバード大学入学後、七一年からマサチューセッツ工科大(MIT)人工知能研究所のシステムプログラマーに就く。
 ストールマンはこのころから、ソフトウェアはフリー(自由)であるべきだと考えるようになった。もともとは小さな技術者のコミュニティの間で自由に使わ れていたソフトが、メーカーに私有化され、高い価格で販売されるようになっていったことに反発し、ソフトは人々の共有物であるべきだと訴えたのである。
 ストールマンと親交の深い井田昌之・青山学院大大学院教授は、進藤美希との共著『オープンソースがなぜビジネスになるのか』(MYCOM新書)の中で、ストールマンのこんな言葉を紹介している。
「対抗するより、一緒にやろう」
「アメリカは、利己的な競争社会になっている。それを建設的な共同社会に変えたい」
 ストールマンは、大型コンピュータを使うときに入力が要求されるパスワードさえ、「コンピュータへの人々のアクセスを制限してしまう」と反対していた。 同書によると、ストールマンはパスワードを機能させないように人工知能研究所の同僚たちに呼びかけ、自分のIDのパスワードは、入力しなくてもリターン キーを押すだけで使えるようにしていた。自分のIDを皆に教え、「だれでも使っていいよ」と差し出していたのである。
 しかし彼の哲学は、九〇年代にはいると徐々に変わっていく。インターネットが社会に普及するのに従って、犯罪者や悪意のある人がネットの世界に流入するようになり、セキュリティという概念が生まれてきたからだった。
「まわりのみんなは、彼をとがめるのもなんだなぁという気持ちながら、単純なパスワード、つまり誰でもわかるパスワードにするということに警戒の意識を持つようになりました。
 私のメモを見ると、単純なパスワードにしようというアイデアは次第に彼の口にのぼらなくなり、九二年には他人にわからないようなパスワードをちゃんと セットするようになったのを確認できます。それは、インターネットの普及とともに増えてきたネットワーククラッカーの横行から自分を守らざるを得なくなっ た結果でした」(同書)
 彼は六〇年代的な、素朴な理想主義者だった。だから彼が起こしたフリーソフトウェア運動は八〇年代、コンピュータに携わる若者たちに熱狂的に受け入れられたのである。
 彼は、自由なソフトウェア利用のための著作権の仕組みであるGPL(一般公衆利用許諾契約書)というものを考えた。GPLの基本的な考え方は、「四つの自由」からなっている。

 あなたには、あらゆる目的のために、プログラムを実行する自由がある。
 あなたには、自分の必要に合わせるためにプログラムを修正する自由がある。
 あなたには、コピーを再配布する自由がある。
 コミュニティが改良による利益を得られるように、あなたには、プログラムの修正版を配布する自由がある。

 このストールマンの考え方は、きわめてサブ・カルチャー的でもあった。若者たちには熱狂的に支持されたけれども、しかしその思想がビジネスに結びついてしまうとは、当時はだれも考えていなかった。
 フリーソフトウェア運動は、国家権力や企業活動とは別の場所に位置するものだと、みんなが考えていたのである。

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「ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか」(佐々木俊尚)

編注:佐々木俊尚氏と文春新書の協力を得て、「ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか」の原稿の一部を掲載いたします。(湯川)

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