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議論のマナーについて

 このブログでは多くの人たちと議論できるようにコメント、トラックバックを受け付けることにしています。ただ建設的な議論にはルールとマナーが不可欠だと思います。議論をすることによって自分が学ぶことができ、相手もまた学ぶことができるように手助けする。そんな議論であってほしいと思います。相手を攻撃することでストレスを発散したり優越感に浸ろうという議論はすべきではないと思っています。
 このブログはわたし個人の責任で運営していますが、時事通信の公認ブログであり、スポンサーもいることから、罵詈雑言など不毛な議論は削除する方針にしたいと思います。
 引き続きわたしの個人ブログ「ネットは新聞を殺すのかblog」はコメント、トラックバックともに一切の規制なしに運営します。自由に発言されたい方はそちらのブログをご利用ください。

9月 18, 2005 |
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コメント

>引き続きわたしの個人ブログ「ネットは新聞を殺すのかblog」はコメント、トラックバックともに一切の規制なしに運営します。自由に発言されたい方はそちらのブログをご利用ください。

なんだか棘がある書き方だと、私は感じています。そうなのかなぁ…。

トラックバックも、コメントも自由に発言してもらうために設けられたシステムですよね。それをわざわざ自由にと書く必要がどこにあるのでしょうか。勿論、書き込む側は個のモラルの中で書き込むわけでして、そういう個(大衆)と粘り強く対応していくのが、不特定多数に向けて情報を発信していく個が持つべきモラルではないでしょうか。

もし、湯川さんが議論のマナーについて、仰りたいのならば、コメント欄に自らで出てきて、コミュニケーションをすべきだと思います。

私の一連の書き込みも、議論を触発するために書いているのであって、それ以外の意味はありません。

わたしのすべてのコメントが、放置プレイのようになっていることに、自己嫌悪を感じているとともに、このブログが新しいコミュニケーションを触発していないことが残念でなりません。

(投稿: スポンタ | 2006/03/25 8:01:05)

大丈夫ですよ、スポンタさん。

昨日今日と今までのポッドキャスティング全部一気に3回聴きました。

コインには裏表があって、どちらかだけで存在できるわけではありません。
もとより、裏の方が邪魔になるようなら黒歴史化してしまうでしょうが、どうもたぶんそういうつもりはないですよ、湯川さんは。

表の方が一区切り付けば、裏のエントリーで表では素直に取り上げ難い事を始めると思いましたよ。
やはり表だけではどうしても手当できない部分てありますよね。

(投稿: トリル | 2006/03/26 19:42:48)

そうなのかなぁ…。

神田さんに対する私のコメントが削除されているんだけど、私の書き込みが「罵詈雑言など不毛な議論」を吹っかけたとおもいますか、トリルさん?

それって、聞いてみたいんだけど。

もし、そういう使用言語コードとでもいうものを意識しなければ書き込めないものが、果たしてブログといえるのかなぁ…。

(投稿: スポンタ | 2006/03/26 21:16:07)

ヴェ?そうなの?

えーと、「やっぱり関西人かな~」って奴?
身の回りの日常を記事に云々という・・・・・

いや、神田さんは別に気にしないと思うけど、職歴長いし、そんなの。
市民記者というより、フリーライター・ジャーナリストの範疇でしょ。
本当に関西人だし、なーんか野次馬率イッチョカミ率タカスという自覚はあると思うし。ウヘヘ。

うーん、わからんけど、表は色々気を使ったりして制約あると思うよ、やっぱり。

良かったら裏側に転載してみてミソ。
チェックしてみるす。

たださ、神田さんに粉掛けるというか質問するなら神田さんのブログなりメルアドにした方が良いんじゃね?

湯川さんにしてみれば自分に対してはともかくゲストへ揶揄にも取れるような書き込みは礼節上勘弁してくれってのはあると思うよ。

(投稿: トリル | 2006/03/26 23:57:06)

トリルさま。

まぁ、そういうことなんだと思う。ただ、そうい礼節というものが自由な議論を触発しないことは問題だと思うんですよ。

勿論、ホリエモンのブログのように、スパム満載のコメント欄というのも、コメント欄としての機能を失っているけど、逆に、アイランド的な言説のみのコメント欄も同様なのではないかな。なんて感じるんです。

私は、挨拶を重要視する日本の体質に疑問を持っている。そして、それは、私だけではなくて、オシム監督を擁するサッカーチーム関係者も同じようなことを日経新聞のコラムで書いていた。フランス人やアメリカ人たちの濃厚な挨拶から始まる会話などを考えると、日本の儀礼的な挨拶に疑問を持つ人は意外と多いのではないでしょうか。

(投稿: スポンタ | 2006/03/27 12:45:00)

コメント欄での議論ですが、演出としてというか設計として、向き不向きのサイトがあるんですよ。
エントリー自体が問いかけのようなモノは議論をする事を要求してるようなモノですけど、此処は一応「コンテンツを出しました、ハイ」というスタイル。
だから議論というほど長々としたモノは物理的に可能だとしても想定していないようなデザインだと思う。
精々「行って来い」の一応酬で終わるような感想や確認ぐらいが適切な使用法だと思う、空気として。

ま、だから「議論は裏か余所でやって」って事で良いと思うよ。

(投稿: トリル | 2006/03/27 20:59:29)

湯川さんがわざわざ「ネットは新聞をなくすのかBLOG」を残したうえでこちらを「表」あちらを「裏」と呼び分けされてることから考えると、私はトリルさんとスポンタさんの対談(?)を湯川さんは必ずしも拒否しているのではないのではないかと思んですね。ようするにここは業務の一環としてやっている(あるいはいずれそうするつもり)なのでディープな議論は「裏」にお願いしますよという意味なのでしょう。裏での議論も湯川さんは目を通しているでしょうから、ここのエントリに関する感想でも裏に書き込んでしまえばいいのではないかと。この場は「当たり障りのない場所」にして差し上げるのが利用者としての仁義じゃないですかね。「そんなのはつまらん」とおっしゃるスポンタさんの言い分も分からないではないんですけどね。

ではここでいったんCMが入りまーす。

(投稿: NS | 2006/03/29 7:02:28)

NSさま。

私が思うに、表での活発な論議と裏の活発な論議、双方が重要だと思うんです。

で、そのことをユーザーも自覚すべきだし、そういうメディア特性の切り口を明確にし、論議をすべきだと思うのです。

いまの情報メディアで、表メディアの代表の地上波テレビはCMや番組宣伝番組というスパムばかりが横溢している。
それって、裏の2ちゃんのスパム率とたしいて変わらないと思う。

その一方で、視聴者をひきつける魅力的なCMもある。2ちゃんねるにも、楽しめるアスキーアートもある。だが、それが多量に発信されるとスパムに堕する。

結局のところ、私が湯川さんの表と裏のふたつのブログでトライアルしたいのは、それぞれの切り口のフォーカスを絞ることと、それぞれが等価なメディアとしてユーザーに受け取られることだと思うのです。

たとえば、Joi伊藤氏のインタビューなどは、表では、とても論じきれない問題を孕んでいる。なのに、その議論が誘発されていないことを残念だと思う。

だって、中国はブログはすでに登録制になり言論統制がなされており、アメリカでもそういう流れが起きつつある。
それにブログユーザーは黙っていていいのだろうか。そういう問題と戦うのを、村井純先生だけに押し付けていていいのだろうか。
ということ。
私は、村井先生の弁護をしたいし、それに反対するインターネット愛好者は少ないのじゃないかな。と、思うんです。

そう、考えてくると、梅田氏の本を賛美する人たちの暢気さが、日本という平和な国の特質なのかなぁ…。と思えてくるんですよ。

(投稿: スポンタ | 2006/03/29 10:38:57)
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